レポート 江戸のイベントロ事情
 

行列イベント
 何しろ武家政権が自ら武装解除して江戸時代がはじまった。260余年にわたる平和は当然で、人類史上まれに見る快挙だと何かの本で読んだことがある。

 なるほど理論の飛躍は気がかりだた、結果論としてはそうといえなくもない。応仁の乱に始まる戦国時代から、信長、秀吉、家康まで、世界に冠たる鉄砲保有国が、3代家光の頃には実用性の低い工芸品として、武家の飾りものになっていた。槍も刀も例外ではなかったらしいから、軍隊の移動であるべき参勤交替の大名行列は、一種の「仮装行列」だったと看破した人もいる。

 むろん諸大名の経済力を削ぎ、徳川家への忠誠心を測るという目的があったであろうことに異存はない。しかしそれにしては諸の事情から勘案して、永続きもし、また華美に過ぎていたように思えるのだが、いかがなものだろう。

 たとえば加賀百万石の前田家では、行列の人数が少なくとも3000人。風呂桶から行水の水まで担いで歩いた。諸家に残る文書のうちには、金のかかり過ぎを嘆いて倹約に腐心しているものもあるが、一方で旅と行列を楽しんでいる日記も多いという。もともと祭好き、旅好きではなかったのか。街道筋の迎える庶民たちも迷惑がっている関係者がいる一方で、弁当持参の見物客もいたらしい。なるほどこうなるとまさしく祭りであり仮装行列である。

 行列イベント。妙な言葉だが、例年、4月と6月は日本中が賑わった。

 そういえば3代家光の日光社参は前後10回。慶安元(1648)年の家康三十三神忌の祈りには、雇従するもの40万人弱。朝五ツ半(9時頃)に先頭が出発して、夕方になってもまだ最後尾は江戸城の中にいた。ただごとではない大イベントというべきである。
(2003年1月21日)