レポート 江戸のイベントロ事情
 

江戸幕府のはじまり
 30年近くも前に上梓された、司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談「日本人と日本文化」。その冒頭に曰く、「平城(奈良)遷都(和銅3年、710年)の目的は、いまでいえば万国博みたいな物で…」。と、これをうけてキーンも、日本最初の寺院である四天王寺(593年)は「迎賓館」だったと指摘する。

 さすがに鋭い。いまさら「人類の歴史はイベントの歴史」などと訳知り顔にものをいうのも恥ずかしくなるところだが、それはそれとして、人類初の大衆消費社会を育んだ江戸時代が、とりもなおさず大衆動員の「大イベント時代」だったという確信に変わりはない。

 そこから何か、今日的なイベントロジーの視点から切り出せるものがあるかもしれない。「江戸イベントロ事情」と語呂合わせして本稿を起こすゆえんである。

さて、江戸時代のはじまりは徳川家康の江戸討入り(天正18年、1590年)か、慶長8年(1603年)の幕府開設ということになっている。

 前者は8月1日。後に「八朔」の儀礼として公式年中行事の一つとなり、市民を巻き込む一大イベントに成長していく。また、後者は将軍宣下という古くからの朝廷の儀式が、四代家綱以降は勅使下向による江戸城でのイベントとなり、これまた八百八町の町人たちが競って参加した。将軍家の権威昂揚に与かったこと無論である。
(2002年11月20日)